先週、新文芸坐で上映された「世界大戦争」(1961年)で初めて澄ちゃん以外の星由里子を見ました。
この映画、第三次世界大戦が勃発して人類が滅亡してしまうというストーリー。やっと平和と豊かさを取り戻した東京の日常が核戦争に飲込まれてしまうまでを、主にある家族の目を通して描いています。その家族の長女を演じるのが星由里子。これがもーう、なんともかわいくて可憐なのです。
もちろん洋服も着ていますが、印象的なシーンでは着物姿なのが意外でした。ちょっと大仰なタイトルとはミスマッチですね。
映画の序盤、家で婚約者を出迎えるときは普段着の着物。ピンクの木綿に赤い半幅帯(元気な文庫結び)の上に花柄のエプロン。エプロンで手を拭きながら甲斐甲斐しく動く仕草も板に付いてます。まだ二十歳そこそこ、って役どころ、当時(昭和36年)はお嬢さんの普段着としての着物もまだ健在だったんですね。
結婚の申し込みリハーサルのシーンで、父親(フランキー堺)の真似をするのもかわいかったなぁ。婚約者(宝田明)とのやりとりにほのぼの。彼もスーツで帰宅後、すぐに着物に着替えます。若い2人がくつろぐ時は着物、ってのがちょっと前(と言うと語弊があるけど)の東京のスタンダードだったなんて。
やがて戦争の予感が強くなる終盤で、デートに着ていくのがバラ柄の訪問着。「もしかしたら会えるのはこれが最後かも」という気持ちがあるからこその特別なオシャレ。その時に選ぶのが訪問着とは、ちょっと驚きました。いくら特別と言っても、この時代でもデートに訪問着は特殊な気がするけど...どうなんでしょう。花嫁衣装的な意味合いも含めての演出なのかな。
白地にバラがくっきりと染められた訪問着、バラの赤のグラデーションにはところどころ金色も入ってます。帯は朱と金の大きな亀甲柄、帯締めは紅白。お母さんも「一張羅の訪問着」と言っていただけあって、まさに正装!衿はキッチリと合わせて、ほとんど抜かずに着ているのも、この時代のお嬢さんらしさを感じます。
貧しくは無いけど特に裕福でもない、ごくごく普通の家の娘さんなのですが、訪問着(しかも若い時しか着れそうも無い柄の)一式を持っているというのも時代ゆえなんでしょうか。「これくらいは持たせてあげなきゃ」ってフランキー堺演じる人の良いお父さんが頑張って買ってあげたんだろうな...せっかくの華やかな訪問着を着てる時に、どんどん悲しい結末に向かってしまうという対比。着物も映画の中で大切な役割を演じているように思いました。