文芸作品の誉れ高い「放浪記」...と、ぼんやり知ってはいましたが、林芙美子の原作を読んだこともなければ、成瀬巳喜男監督の映画を意識して見たこともない私。
それでもたまたま、これも池袋の新文芸座で観たらとても面白かった。林芙美子の生き様が強烈で、それを演じる高峰秀子に圧倒されました。見どころがたくさんある名作なのでしょうが、ここでは着物のことを。
まぁ、高峰秀子と草笛光子の着物合戦が鮮やかで。2人の全く違う装いがまた見たくてDVDで見直してしまいました。今まで昭和の名作と言われる映画にあまり興味がなかったのに、急にがぜん面白く感じるようになった理由のひとつが「着物」なのです。自分が着るようになったら、もう、いろんな着物が見たくてしょうがない。で、この映画の舞台は昭和初期なので、当然普段着もよそ行きも様々な着物のオンパレードです。こりゃ楽しい。
高峰秀子演じる林芙美子は、貧乏のどん底で女工やカフェの女給をしながら詩や童話の創作をし続けている、絵に描いたような苦境の作家。これでもか!というほど田舎臭くて貧乏で...見てるこっちが暗い気持ちになるほど。
それに対して草笛光子演じる日夏京子は、同じく詩人だけど堂々たる美人として描かれています。しかもリッチで余裕のある立居振る舞い。
いっつもブスッとした仏頂面で猫背。全身で非美人オーラ前全開の芙美子と、シュッとした美人の京子。この対比がそのまま2人の着姿に現れています。芙美子はたいてい絣をグズグズに来崩していて、京子は華やかな小紋をピシッと、それこそ着付けの教科書みたいに美しく身にまとっています。スラリとした草笛光子のスタイルの良さも、もちろん功を奏しているんですが。
男の部屋で鉢合わせするところから、2人の関係は始まります。先に部屋に居た京子は、めいっぱいオシャレしていて白黒の画面からでも艶やかさが伝わるようです。大胆な波柄の羽織がとくに素敵。
いっぽう、スキ焼き屋のバイトから帰って来た芙美子は日本髪を結っていて、これがまた輪をかけて田舎臭くブスに見せてる(本当にブスに見えるのがさすが)。羽織もなんか半纏っぽくて垢抜けない、あぁ〜残念...
ほどなく2人は詩人同士として、芙美子が働くカフェで再会。女給の芙美子の白いエプロン姿は森光子を彷彿と…いや、実際の舞台を見たことないけど、こんな出立ちでお盆持って踊ってるのをテレビで度々見かけました。京子は幾何学的な花柄の小紋に、竹が描かれた帯。この組み合わせもかっこいいなー。「2人で詩の雑誌を作ろう!」と盛り上がります。(余談ですが、ここで登場する詩人、白坂五郎役の伊藤雄之助が好きでした。非二枚目枠だけど。)
やがて小説で競い合うことになる2人。ライバルとしてバチッと視線を合わせるシーンです。座る時もクシャッと年寄りみたいな姿勢の芙美子。
高峰秀子のエッセイ集「忍ばずの女」を読んだら、役作りのために姿勢を研究するときは整形外科医に教えを乞うことにしてる、と綴られていました。私は高峰秀子主演の映画はずいぶん前に「二十四の瞳」を見ただけ。あの若い先生のイメージそのままに、たおやかでなんとなく苦労知らずの女優さんというイメージを勝手に抱いていましたが、文章の端々から演じることに命がけな女優魂が伝わってきて驚きました。「放浪記」の時もさもありなん。
そして書きあがった小説を京子が芙美子に預けに来ます。総絞りの着物でいつも以上にゴージャスな京子と、庭でタスキがけで洗濯をしている芙美子。これから婚約者の両親に会いに行くところ、と告げる京子。以前「あんなのが欲しい」と芙美子が憧れていたショールも持っている。満たされてるなぁ〜...夫ともうまく行かない芙美子とは何から何まで違う。
ラスト近く、2人が顔を合わせる最後のシーン。京子はよろけ縞の夏着物に鉄線の帯で、いい女ムードたっぷり。私はこれが京子に一番似合っていると思いました。ハッキリした目鼻立ちで、男顔の草笛光子には大胆な柄がピッタリ、素敵に映えますねぇ。芙美子はダラッとした浴衣姿、相変わらず帯も適当にグルグルッと巻いてる感じ。
最初から最後まで芙美子はふてぶてしくて図太くて...一筋縄では行かないアクの強い作家像が見事に描かれていました。「忍ばずの女」によれば、着物やヘアスタイルにメイクなど全て、高峰秀子自身が林芙美子をどう演じるかを考えて決めたそう。なるほど〜。とにかく終始、書くことと恋愛に入れあげてる姿の鮮烈さはそこから生まれていたんですね。
おまけに。この映画の中からどれか一着、貰えるとしたらどれ?と聞かれたら...そりゃ作家として大成したラストシーンで着てた結城紬だよ〜と答えますが、そうじゃなかったら、貧しい時代の絣の着物がいいな。あ、と思う魅力的な柄がたびたび登場しました。合わせる帯を工夫して、こんなのをしゃきっと着てみたい。普段着の着物の織り模様の美しさに、とても惹かれます。